スマホが人間を支配する?
どうして依存してしまうのか
こんばんは!YASURAです。
今日はスマホと私たちについて書こうと思います。といいますのも、今日あった出来事が大きく関係しております。
今日私は皮膚科に行きました。その待合室では連休前のせいかいつもより多くの人がいました。そこのは子連れのお母さんが来ていました。今日は気温が低かったので電気ストーブがついていました。子供はそのストーブに興味を持ったようで近づいてじっとストーブを見ていました。ただ、ストーブは当然触るとやけどの危険があるので、ここで母親は連れ戻すのかなと思いました。しかし、この母親はスマホをずっと見ていて子どもの行動を気にも留めていなかったのです。これには私も「お前はスマホと自分の子供とどっちが大事なんだよ!」と思ったくらい苛立ちました。
さて、ここから議論は2つに分かれます。一つは保護者の責任についての議論、もう一つはスマホが人に及ぼしている影響についての議論です。ただ、前者は私自身子供がいるわけではありませんし議論しようとしても“保護者”というものに対して私がとても無知であるために今回書くのはお預けにしたいと思います。
では、スマホというのはいったい我々の生活にどれだけ根付いているか考えてみましょう。皆さんも想像すればわかるようにスマホは我々人間を今や支配しかけているといっても過言ではありません。連絡手段、検索、ルート案内、ゲームや動画などといった娯楽までスマホでほぼ網羅できてしまいます。私も当然スマホに頼り切っている部分がありますし、手放すことは難しいです。
スマホは我々の意思で動いています。だから、支配とまではいかないのではと思う人もいるかと思います。それは見当違いです。我々はスマホに“時間”と“意識”を支配されてしまっているのです。考えてみてください、皆さんがボーっとツイッターやInstagramを見ているとき、ネットサーフィンをしているとき、芸能人のくだらないニュースを見ているとき、ゲームをしているとき、皆さんは自然とその“時間”と“意識”を奪われているに違いありません。そうでなければ、先ほどのように自分の子供の危ない行動に気づかなくなったり、一日スマホを見ていたりするようなことは起きないのです。
文明の利器である「スマートフォン」。これを使うか使われているかは我々が普段から「今はスマホを使っている」という意識があるかどうかにかかってきます。スマホを使ってはいけないというのではなく、使うなら我々がスマホに支配されてはならないということをより意識して使うべきです。
今後もできる限り毎日更新していきたいと思います!ぜひ読者になってください!
コメントもよろしくお願いします!
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