YASURAの野球ノート

こんにちは! 某国立大学教育学部2年時のYASURAと申します。 現在、軟式野球部に所属しており、一人暮らしをしながら文武両道に励んでおります。 日々の生活の中でのちょっとした「意識」や「気付き」が教師になる上で、あるいは野球部の顧問になる 上で重要になると考えております。 そこで、私の考え方や気付きを共有して、皆さんの意見をぜひ聞かせていただきたいです。

人間は評価される生き物である

評価されると生きにくい?

こんばんは!YASURAです。

先日、読者が100人に達しました。日頃から私のブログを読んでいる皆さんに感謝申し上げます。今後ともできるだけ更新を絶やさずにいきますのでぜひ購読し続けてください。よろしくお願いします。

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さて、こうしてブログの読者を少しずつではありますが増やしてきました。これは、読者の方が私のブログに対して何か考えを持ってくれている、すなわち私のブログに対しての評価をしてくださっているからであると思います。以前、誰かのために努力できるというのは「人間は評価される生き物である」という考え方に基づいていると書きました。今日はそのことについて書こうと思います。

 

↓以前の関連ブログはこちらから↓

 

pitcherteacher18.hatenablog.com

さて、私が言う「人間は評価される生き物」とはどういうことなのか考えてみましょう。考えるといっても皆さんは日頃から実感しているに違いないと思います。例えば学校では「テスト」という形で評価され、部活動では「プレー」等で評価され、バイト先では「仕事のでき」が評価されています。人間関係だってその人の「人間性」や「見た目」などで友人や恋人に評価されているといえると思います。

そう考えると、世の中生きにくいと思いませんか?自分の一挙手一投足が自分のことを知っていようが知らない人であろうが常に評価されているわけです。これは小学生であろうが、大人になろうが一緒です。評価の社会を我々は生きているといっても過言ではありません。

では、逆に評価のない世界を考えてみましょう。そうすると、良いことしようと悪いことしようと誰にも何も介入されません。そんな社会で少しでも誰かに協力しようとか成長しようと思えるでしょうか。努力したって何の意味もないならば人は努力を忘れてしまいます。すると人間という生き物がどんどん廃れていってしまいます。

そうすると、人間の向上心の原動力はやはり誰かからの評価であると考えられます。成績が悪ければ、あるいは人としての態度がイマイチならマイナスの評価を受けます。人間はマイナスに評価されるのを嫌いますから何らかの打開策を探すわけです。その一つが努力することです。私のブログも誰の評価もないままでは書き続けることはできません。根底に「人間は評価される生き物である」という考え方があると、一見生きにくそうに感じますが、実は自分自身の成長につながる大事な要素であるといえるでしょう。

 

しかしながら、最近気になるのは評価をする側の人に重大な問題点があるということです。それは、また後日書きたいと思います。

 

 

今後もできる限り毎日更新していきたいと思います!ぜひ読者になってください!

コメントもよろしくお願いします!

 

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