YouTubeのコメント欄と現代社会
①寂しがり屋の集まった場所?
こんばんは!YASURAです。
今回のブログから3回に渡って「YouTube」について書いていこうと思います。
私は一人暮らしで且つ今はテレビを持っていないので暇つぶしは専らYouTubeを使うわけなのですが、YouTubeのコメント欄を皆さんは見たことがあるでしょうか?はたまた、もしかしたらコメント欄を見ながら動画を見てる方もいるかもしれません。
そんな時に少々引っかかるコメントに皆さんはきっと遭遇したことがあるでしょう。実はそんなコメント欄が寂しい現代社会を反映しているのではなかろうかという私の持論です。
さて、まず今日取り上げるのは下の写真ようなコメント欄です。
いわゆる「グッド稼ぎ」です。グッド稼ぎ自体はYouTubeのみならずTwitter等のSNSでもよく見受けられますが、YouTubeの場合特にその傾向が顕著に表れているのかなと思えます。
では、なぜグッドを稼ぎたくなるのでしょうか。私はこのようなグッド稼ぎの裏には日頃満たされない「承認欲求」があるのではないかと推測します。日頃の生活においては誰にも自分の価値を認められず、誰からの共感を得られないような人はネットという名前も顔も伏せることのできる世界の中で不特定多数の人から多くののグッドを稼ぐことで自分の価値を認めてもらう、あるいは自分と同じ考えを持っている人を探しているのではないでしょうか。そう考えると寂しいものだと思えます。
確かに私もYouTubeで動画を見た後、自分の思ったことがコメント欄にあると「同じことを思っている人がいた」といい気分になります。しかしながら、コメント欄上で「グッド稼ぎ」をしたところでその人の「承認欲求」は果たして満たされるのでしょうか?
現代社会においてはネット上にありとあらゆる「承認欲求」を満たせる場が存在します。だからこそ、直接「いいね」「すごいね」「君の言うとおりだよ」と声をかけてあげることに大きな価値があるのではないでしょうか。「グッド稼ぎ」に奔走して得た1000グッドよりも直接自分の友人一人から認められたほうが断然うれしいと思います。そんな居場所づくりが現代社会や学校教育の課題なのかもしれません。
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