YASURAの野球ノート

こんにちは! 某国立大学教育学部2年時のYASURAと申します。 現在、軟式野球部に所属しており、一人暮らしをしながら文武両道に励んでおります。 日々の生活の中でのちょっとした「意識」や「気付き」が教師になる上で、あるいは野球部の顧問になる 上で重要になると考えております。 そこで、私の考え方や気付きを共有して、皆さんの意見をぜひ聞かせていただきたいです。

一日を有効に使う方法

計画のリスト化がポイント!

こんばんは!YASURAです。

どうやら今日から平成最後の1週間のようです。一週間後には新元号「令和」になると考えると何となく時間の流れは速いなと感じます。

時間は有限です。一日24時間をなんとしてでも有効に使いたいと誰もが思うでしょう。また、時間は状況によっては同じ1時間でも早く感じたり遅く感じたりします。だからこそ、大事に使わないといつも余裕のない生活になってしまうと思います。そこで、今日のブログでは1日を有効に使うために計画の立て方について書こうと思います。

さて、皆さんはその日にやることをリスト化していますか?実は、このリスト化して書きだすことが時間を有効に使う方法です。図を例に紹介しましょう。

①今日やること(あるいはやりたいこと)をすべて書き出します。

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②そのリストに優先順位をつけていきます。

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③やり終わったことには線を引いて消していく。

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このやり方は浪人時代に編み出しました。私は国立大学を受けるためにたくさんの科目を一日で勉強しなければならなかったので、そこで計画を立てて苦手なものからしらみつぶしにやっていくというやり方で勉強計画を立てていました。それを生活に応用したものです。

でも、一つ欠陥があるとおもいませんか?そう、このやり方でやっても最後まで予定通りにいかないで終わってしまうかもしれません。しかし、それはこのやり方の実は良いポイントでもあるのです。

はじめてリスト化した日はやることが終わらないと思います。そこには頭の中にある自分の計画と実際の自分の仕事量に大きなギャップが生じているのです。しかしながら、このリスト化を続けていくことでそのギャップ埋まってきます。すなわち、自分に合った計画を立てられるようになるというわけです。仕事が早い人は頭の中で優先順位をつける作業に長けています。このやり方を続けていくとその作業も早くなっていくに違いありません。

また、終わったことに線を引くことで達成感が得られます。達成感は良い生活を送るのにはとても大事なことなので必ず「書く」⇒「線を引く」という作業をするべきです。(達成感については後日書きます)

まとめると、その日の計画を書き出してリスト化することでやることを明確にし、優先順位をつけ、終わったら線を引くということを毎日すれば1日が有効に使えるようになります!皆さんもぜひ実践してみてください!

 

 

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#19

 

人生は反省の連続

失敗は成功の基

こんばんは!YASURAです。

来週からいよいよ10連休ですね。皆さんは予定の方は決まっているでしょうか。私は大した予定はありませんがリーグ戦もあと2試合残していますし、課題もたくさん出されているので有意義に過ごすためにも、早めに終わらせて自分を楽にすることができればなと思います。

 

そうこういってはいますが、改めて私がどうしてブログを書いているのか今日は少し考えてみました。ブログを書くということにはいろいろな要素が含まれていますが、今日はその中でも日常生活では常に“反省”が繰り返されているのだということについて書きましょう。

私がブログの題材を考えるとき、まずその日あったことを考えます。すると、あのときあれをすればよかったとか、どうしてあんなこと言ってしまったのだろうとか、あの行動は必要だったのかなどといった反省を頭の中で思い浮かべるのです。人間はいつも成功するわけではありません。だからこそ、毎日少しづつ成長するためには反省が欠かせないのです。

私は、LINEがとても苦手です。そのため、よく自分の思いとは少々違った解釈をされる文章を送ってしまいます。そのたびに、何であんな文章を送ってしまったのだろうと反省をしています。(ちなみに、このことに気づいたのは浪人時代に予備校の友人に私のLINEがものすごくそっけないということを指摘されてはじめて気づきました笑)また普段の会話の中にも、思ったことを何でも言ってしまっているようでは自分の気付かぬ間に相手を傷つけてしまっているかもしれません。少しの言動でもその日を思い返したときにもっと違う言い方があったのではなかろうかと反省をします。

しかしながら、日々そうして反省を繰り返すことによって少しずつではありますが精度は良くなっていると思います。それは日々の反省を意識しているからです。

皆さんはどうでしょうか。今日1日を振り返って反省はありましたか?実は、今日はいい日だったと思った日もよく覚えておいたほうが良いと思います。それは、何がその日を良いものにしたかを考えたほうが良いからです。すなわち、良い日にはよい日なりの理由があるのでそれを覚えておけば毎日が楽しくなると思います。(私は今メンタルが安定していないのでなかなかいい日が増えませんが、、、)

ブログを書くことで少しでも毎日を振り返る癖をつけるということが大事です。なので今後ともブログを書き続けていきたいなと思います。

 

 

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#18

野球は“流れ”

力の差だけではない!

こんばんは!YASURAです。

昨日は休稿すみませんでした。今週は先週よりもスケジュールに余裕があるので更新が多くできるのではないかなと思っています。ぜひ、今後もご愛読ください!

さて、土曜日にリーグ戦第三戦がありました。6-2で勝利こそしたものの私のふがいないピッチングでチームに迷惑をかけてしまって申し訳なかったです。

何がふがいなかったのかといえば、すべてですが、特に初回に連打で2失点してしまい流れをチームに呼び込むことができなかったのが大きな反省です。

立ち上がりに崩れると、どうしてもチームの雰囲気はシュンとした雰囲気になってしまします。すると、なかなか攻撃でも自分たちらしい攻撃ができなくなってしまいます。これは、野球には試合の“流れ”というものがあるからです。

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投手である私はその力を強く感じます。例えば、連打を食らったり相手が押せ押せの雰囲気の時は正直どこに投げても打たれる気がします。逆に自分たちがいいリズムで守っているときは打たれる気がしません。こういった試合の流れを読む力も野球人には必要です。そこで、流れがどういったときに変わりやすいか考えてみました。

①先頭フォアボール・・・先頭打者が出るということは良い事ですが、特にフォアボールは投手に対してのダメージが大きいです。フォアボールのランナーが点に絡みやすいのはフォアボールを出しているときは当然野手の足が止まってしまい守備のリズムも悪くなってしまうからです。野球をやっていた人はわかると思いますが、フォアボール連発の後なぜか打ち取った当たりがエラーになってしまうことが何度も経験としてあると思います。それだけ大きな要素であると思います。

②走塁ミス・・・走塁ミスはすなわちチャンスをつぶしてしまっていることです。例えば牽制でタッチアウトになったりライナーバックができなかったりとチャンスをつぶしてしまうと相手に流れを渡してしまいます。これが次のイニングに失点につながってしまうことが多いのです。今年の春の選抜でも星稜vs.習志野で8回に飯塚投手が二塁牽制でランナーを刺したシーンがありました。次の回に習志野はホームランで追加点を挙げ、前評判を覆す大金星をあげました。

③ゲッツー・・・ゲッツーは1プレーでアウトを二つとる守備のことを言いますが、ゲッツーをとった守備側はかなり勢いに乗ります。逆に攻撃側はチャンスをつぶしてしまったということから雰囲気が悪くなってしまいます。ゲッツーというプレーは練習でもよくやると思いますが、試合の流れにかかわる大きなプレーなので、そういった意識で臨むのが好ましいと私は思っています。

野球の面白さは力の差が3:7くらいの時ならば3の方が勝つことが往々にしてあるということです。それは、実力が相手より下回っていても“流れ”を読めている選手が多いほうが強いと思います。残り2試合となったリーグ戦でもそういったことを意識して取り組んでいきたいと思います。応援の方もよろしくお願いいたします。

 

 

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#17

遅刻の何がいけないのか?

 約束としての遅刻、時間としての遅刻

こんばんは!YASURAです。

最近、私自身少々たるんでいるなと思っていることがあります。それは、授業に遅刻しそうになることが多いことです。朝起きるのも遅い、起きてからの準備も遅いで「全く何をやっているんだ新学期から!」と反省しきりです。

さて、そこで思い出したのですが、今週受けたある授業のなかでこんな話が出てきました。それは、「どうして授業に遅刻してはいけないのか」ということです。いろいろな学生が意見を言っていて遅刻に対して簡単ではありますが自分なりの考えを何となく持っていると同時に、「遅刻はいけないものだ」というのは全体の共通理解であったのかなと思います。

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私も当然遅刻はあってはならないものだと思っています。でなければ冒頭のように自分に対して反省をするわけがありません。では、私なりの遅刻に対する解釈を述べていこうかなと思います。

遅刻に対しては二つの見方を考えてみました。一つは「遅刻をしてはいけない」、もう一つは「遅刻はしないほうがいい」というものです。

「遅刻をしてはいけない」・・・遅刻をするというのは換言すれば相手との時間の約束を破るといえるでしょう。すなわち、自分が約束を守れない人間ですよと相手に言ってしまっているようなものなのです。そうなれば相手の自分に対する評価はガタ落ちです。信用してもらえなくなります。大学生活だから大丈夫だろうと思っているそこのあなた、日頃の習慣は社会に出てもつい出てしまうものなのです。するとどうでしょう、あなたは社会で自分は約束を守れない人間であると言ってしまえば、仕事はなくなります。社会では言い訳は通じません。だからこそ、約束を破る人間にはなってはいけないので遅刻はしてはいけないと考えられます。

「遅刻はしないほうがいい」・・・遅刻をする人は時間に余裕のない人です。つまり、時間を有効に使えていない人です。私が遅刻をしてしまう理由を考えてみましょう。例えば私は朝起きて、授業の準備をして、急いで持ち物と戸締りを確認して、、、となりますが、授業の準備って昨日できなかったの?昨日もっと早く寝れなかったの?昨日無駄な時間過ごしてなかった?と考えると結構あるのでいつも後悔をします。それは、遅刻をした以上に使えた時間を有効に使えていなかったことに対して後悔をします。遅刻をしている人は私を含め時間を有効に使えていない可能性が高いです。日々の時間の使い方を見直すべく遅刻はしないほうがいいと思います。

怖いのは遅刻に対して罪悪感のない人です。遅刻してもへらへらして許されているようでは社会に出て痛い目にあいます。そういう時は、仲が良かろうが何だろうが関係ありません。ぜひ、相手を思って注意してあげるのが良いかと思います。

明日私も朝が早いので今日はこの辺にしたいと思います。これで私が遅刻したら元も子もないですからね笑

 

 

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#16

人間は評価される生き物である

評価されると生きにくい?

こんばんは!YASURAです。

先日、読者が100人に達しました。日頃から私のブログを読んでいる皆さんに感謝申し上げます。今後ともできるだけ更新を絶やさずにいきますのでぜひ購読し続けてください。よろしくお願いします。

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さて、こうしてブログの読者を少しずつではありますが増やしてきました。これは、読者の方が私のブログに対して何か考えを持ってくれている、すなわち私のブログに対しての評価をしてくださっているからであると思います。以前、誰かのために努力できるというのは「人間は評価される生き物である」という考え方に基づいていると書きました。今日はそのことについて書こうと思います。

 

↓以前の関連ブログはこちらから↓

 

pitcherteacher18.hatenablog.com

さて、私が言う「人間は評価される生き物」とはどういうことなのか考えてみましょう。考えるといっても皆さんは日頃から実感しているに違いないと思います。例えば学校では「テスト」という形で評価され、部活動では「プレー」等で評価され、バイト先では「仕事のでき」が評価されています。人間関係だってその人の「人間性」や「見た目」などで友人や恋人に評価されているといえると思います。

そう考えると、世の中生きにくいと思いませんか?自分の一挙手一投足が自分のことを知っていようが知らない人であろうが常に評価されているわけです。これは小学生であろうが、大人になろうが一緒です。評価の社会を我々は生きているといっても過言ではありません。

では、逆に評価のない世界を考えてみましょう。そうすると、良いことしようと悪いことしようと誰にも何も介入されません。そんな社会で少しでも誰かに協力しようとか成長しようと思えるでしょうか。努力したって何の意味もないならば人は努力を忘れてしまいます。すると人間という生き物がどんどん廃れていってしまいます。

そうすると、人間の向上心の原動力はやはり誰かからの評価であると考えられます。成績が悪ければ、あるいは人としての態度がイマイチならマイナスの評価を受けます。人間はマイナスに評価されるのを嫌いますから何らかの打開策を探すわけです。その一つが努力することです。私のブログも誰の評価もないままでは書き続けることはできません。根底に「人間は評価される生き物である」という考え方があると、一見生きにくそうに感じますが、実は自分自身の成長につながる大事な要素であるといえるでしょう。

 

しかしながら、最近気になるのは評価をする側の人に重大な問題点があるということです。それは、また後日書きたいと思います。

 

 

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#15

上達のコツ

知識、経験、技能をいかに近づけられるか

こんばんは!YASURAです。

今日から1年生が部活動に見学・体験しに来ました。大学に入ってしまえば高校時代のレギュラーだったとかベンチだったとかそんな評価は一切関係ありません。後輩であろうと積極的な姿勢で上級生を脅かしてほしいですし、逆に今出ているメンバーも私を含め今以上に危機感をもって練習しなければならないなと思いました。

そこで、今日は“上達のコツ”と題しまして何事もどうすれば上達するのだろうかということについて考えていきたいと思います。ちなみに、この考え方は、昨日のある授業において学習指導要領の解説の講義の時に教授の言ったことをメモしていた時にふと思いついたので書こうと思いました。

 

さて、上達のキーワードとなってくるものは一体何か?それは、「知識」「技能」「経験」です。この言葉をよく見るなと思った教育学部の皆さん、よく勉強している方なのかなと思います(笑)。これらの三つの能力をいかに近づけれれるかで上達するや否やが決まるということです。知っていても実際に使いこなせなければ意味がありませんし、いろいろな経験をしても、全部忘れてしまっているようでは成長しません。

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例を挙げてみましょう。例えば社会の日本史を教えるとするならば、

日本史の流れや事件、ポイントを抑えていることは「知識」であり、

人に分かりやすく物事を伝える力は「技能」ですし、

さらに日本史に関連した自分が見たり体験したりしたことは「経験」です。

これらの要素が独り歩きしてしまっては、ずーっと先生が単に知識を披露しておしまいになるとか、分かりやすいがどこか内容が物足りないとか、自分の話ばかりして授業が進まないという事態が起きうると思います。これらを近づけることで知識に教師自身の経験も加わってよりインプットしやすい授業が展開されると思います。

 

ここまで、書いてきた例を参考に皆さんも今上達したいものを「知識」「技能」「経験」にそれぞれ分けて書いてみましょう。するとどの要素が自分には不足していて、どの要素が遠ざかってしまっているのかを考えることができます。部活動にもバイトにも応用できる考え方です。ぜひ、試してみてください!

 

 

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#14

お久しぶりです。

打たせてもらったヒット

こんばんは!お久しぶりです。YASURAです。

先日は長い間休稿とさせていただきました。お持ちしていた皆さん申し訳ありませんでした。

では、この間にあったことを書きたいと思います。少々重い内容です。

金曜日、九州の祖父が亡くなりました。急だったのと、その連絡を受けたのが新歓の最中であり且つ次の日に大事な試合があったことから気持ちの整理がつかず、書く余裕もなかったのでお休みさせていただきました。

翌日は両親からも試合に行ってこいと言われたので試合に出場させていただきました。2-4で負けてしまいましたが、実力が自分よりも上の大学に途中までは粘りの投球ができていた点は前回からの成長かなと感じました。(この試合の投球についての記事は後日書きます)

この試合はチームのために、そして亡くなった祖父のためにも勝ちたかったです。だからこそ、今私の使っている財布が祖父の物だったので一緒にベンチの置いておきました。

すると3回裏の第一打席でたまたまバットを振ったらヒットになりました。決していい当たりとは言えませんでしたが外野の前に落ちました。その時ふと思ったことがありました。それは、このヒットは打たせてもらったものだなと。自分は打率が一割にも届かないような選手です。あの場面でヒットを打ち、ホームに生還するというのは私の普段の実力では考えにくいものです。だからもしかしたら、祖父が少し力を貸してくれたのかなとおもいました。その後、式場についてヒットを打ったことを報告しました。昔からホークス戦を欠かさずラジオで聞いていた野球好きな祖父だったので、多分喜んでいたのではないかなと思います。

 

正直この記事を書くか迷いました。しかし、私の中で九州の祖父には非常に世話になったことなどを考えると、今のこの気持ちを一生大事にしていきたいと思いました。だから、記事にしました。いつも九州に行くと驚かせて迎えてくれたこと、小さいとき私が電車好きだったので駅で一緒に電車を見たこと、足が悪かったにもかかわらず近所のすし屋まで一緒に歩いてくれたこと、いろいろな思い出があります。いつか来ると分かってはいましたが、さよならはさみしいものです。同時に今以上に一所懸命に生きなきゃいけないなと思いました。

 

 

九州のおじいちゃん、

最後にあえてほんとによかった。

今までありがとう。

 

  #13

 

なお、この度私の急用に対して融通を利かせてくれた学科の方、野球部の方、バイト先の方には本当に感謝しております。ありがとうございました。