自分のためより誰かのため
取っ掛かりでコケてしまう人必見!
こんにちは!YASURAです。
新元号は「令和」でしたね。皆さんはどう予想してましたか?私に限らず「和」の字が使われているような気がすると思った人は結構いるのではないでしょうか?
ただ、まだ「平成」は1か月ほど残ってますので、今日がエイプリルフールだからと言って「今日は令和元年4月1日か~」などのウソに騙されないよう気を付けましょう(笑)
今日は新年度のスタートということで、心機一転何か新しいことに挑戦しようと考えている人も多くいるのではないでしょうか?しかしながら、「新しいことに挑戦するぞ!」と漠然と意気込んだところでなかなかその取っ掛かりというものが難しいと思います。
何か新しいことを始めるには、何のためにやるのか、すなわち動機付けが大事になってきます。
この動機付けを、今日のタイトルにもあるように自分のためより誰かのためという意識でやることを私はオススメしたいと考えています!
自分のためより誰かのためとはどういうことなのでしょうか?例を挙げてみましょう。
大学の授業で友達が欠席をしました。その友達は事前に休むことを私に伝え、「今日の授業のノートあとで見せてほしい」とお願いをされていました。通常の授業は自分が成績を落とさないために受けていますが、この日はその友達にどんな授業だったかをノートを見せて伝えるために受けました。ところが、いつもよりも授業に集中できました。
どうしていつもより集中できたのでしょう?それは"友達に教えるためには、まず自分が理解しなければ”という心理がここでは働いたからだどいえます。すると、自分のためより誰かのためにやったほうがかえって自分のためになるというわけです。
チームスポーツをやっている人はこの感覚がわかると思います。“自分のミスでチームに迷惑をかけたくない”という思いから練習や努力を重ねるわけです。
私は投手をやっていますが、よく「野球の勝敗の8割が投手」と言われるように、非常に責任重大なポジションです。”チームの勝敗の8割を背負っている”と考えれば、努力をしようと自然と思えてくるものです。
これをチームスポーツに限らず、物事の取っ掛かりに応用すればいいわけです。私のブログも、元々は日記をつけたいと考えていましたが、自分一人で終わってしまう日記はなかなか長続きしませんでした。
ところが、こうして“誰かが自分の投稿を見てくれる”と考えれば、毎日継続して自分の考えを書き続けることができるかもしれないと思ってこのブログを開設しました。
人は取っ掛かりさえうまくいけばある程度没頭する生き物ですから、始めてしまえばどうにでもなります。
だからこそ今日から新しいことを始めようと思っている人は自分のためより誰かのためを意識してみましょう。
ダイエットなら、単に体重を減らしたいではなく、モテたいとか痩せたねって言われるように、
勉強なら自分の頭をよくするためでなく、誰かに教えるために、
掃除ならだれかを自分の部屋に呼ぶために、
といった具合ではじめてみるとよいでしょう。
この考え方は、「人は常に誰かの評価を受けている」という私の持論に基づいていますが、それについてはまた機会があれば書きたいと思います!
今後もできる限り毎日更新していきたいと思います!ぜひ読者になってください!
コメントもよろしくお願いします!
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