YASURAの野球ノート

こんにちは! 某国立大学教育学部2年時のYASURAと申します。 現在、軟式野球部に所属しており、一人暮らしをしながら文武両道に励んでおります。 日々の生活の中でのちょっとした「意識」や「気付き」が教師になる上で、あるいは野球部の顧問になる 上で重要になると考えております。 そこで、私の考え方や気付きを共有して、皆さんの意見をぜひ聞かせていただきたいです。

どうして教師になりたいのか〈後編〉

学校教育と受験勉強は別物?

こんばんは!YASURAです。

今日は新学期のガイダンスがありました。また、授業が始まると思うと大変だなと思う反面、少々楽しみでもあったりします。日々の授業で感じたこともこのブログを通じてお伝えできればと思います。

さて、昨日は私の小学生時代から高校時代の将来像の考えを書きました。

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 その考え方は9:1の割合で「野球」のために教師になろうという考え方でした。そんな私は、現役時代勉強をさぼっていたツケが回ってきて浪人をすることになりました。しかし、浪人生活で私は、やはり勉強もきちんと教えたいと思うようになりました。そんな浪人生活時代について書こうと思います。

 

私は、1年間予備校通いをしていました。当初はもちろん教育学部に行って、野球をしたいというのが前提にありました。しかし、浪人生活をしていく中で様々なことを感じ、その考え方に変化が生まれました。

1つ目は、予備校の先生は授業、というよりかは受験勉強のプロなのでとてつもなくわかりやすい授業を展開してくれます。「そりゃ当たり前だろ」と思う人もいるかもしれませんが、これが私の感じた疑問でした。学校教育の現場ではどうしてわかりやすい授業をしてくれないの?ということです。思えば、高3の秋の学校の授業をまともに聞いている人なんかほとんどいませんでした。ほとんどの人が予備校や塾のテキストを開いて、いわゆる「内職」を行っていたのです。極端に言えば、予備校や塾は信じられるが、学校の先生は全くと言っていいほど信頼されていなかったともいえるでしょう。

確かに、予備校講師というのはいつクビになるかわからないかなりシビアな世界です。しかも、受験問題の研究と授業の準備のみに時間をさけるので、質の高い授業を提供するのは講師にとって義務です。しかしながら、学校の先生にそれはできないことなのでしょうか?そうなってくると、「学校の授業」と「受験勉強」は大きく乖離してしまうでしょう。これは現行の受験システムが悪いのか、はたまた学校の先生が悪いのか、はっきりとした結論は出せませんが、そんな日本の教育システムは少しおかしいのではないかと疑問を感じたわけです。

2つ目は、予備校講師は素晴らしい「雑談力」を持っています。この「雑談力」こそ生徒を引き付ける力の一つであると感じました。予備校の授業展開は、「先生⇒生徒」の一方通行によって成り立ちます。当然、生徒と講師によるコミュニケーションによって授業が展開されることはありません。そこで生徒が退屈にならぬよう授業の潤滑油として「雑談」をするのです。私はこの「雑談力」を高めるには経験がものをいうと思っています。経験が多ければ多いほど、話の引き出しが増えて、生徒の気を引くような話になるでしょう。現時点ではアクティブラーニングが推奨されている学校現場ですが、結局ところ教師は生徒の前に立って生徒の関心を引き付けなければならないので、経験から培われた「雑談力」を教師は兼ね備えている必要があると思いました。

これらのことは、私の教師像に大きな影響を与えました。その上で、学校の教師と予備校講師の良さを組み合わせた教師になりたいと思うようになりました。この時点で教育と野球の考え方の比率はほぼ五分五分になりました。さらには、現場のみならず日本の教育システムそのものにも関心が生まれました。私にとって重要な意味のある一年だったといえるでしょう。

 

本当はこの後に大学に入ってからのことを書こうと思ったのですが、あまりにもたくさんあるので、それぞれテーマ分けして書こうと思います。

私の通っている大学の教育学部は浪人生が非常に少ないので、やや浮いた存在に見られていますが、私は決して「浪人」という言葉に負い目は感じておらず、馬鹿にされようが何だろうが私にとって価値のある1年であったと胸を張って言いたいです。

 

 

今後もできる限り毎日更新していきたいと思います!ぜひ読者になってください!

コメントもよろしくお願いします!

 

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